普通な一日

2002年4月23日
普通にそれなりにお仕事こなす。
特にトラブルもなく、可もなく不可もない
ごくごく普通の当たり前な一日だった。
 
まっすぐおうちに帰り、のんびり。
 
普通に普通。
これが一番難しかったりして。
 
 
 
何が言いたいかというと、特に何もなかったりする。

30≠若者

2002年4月22日
部長が上の娘さんのために携帯を買ってきた。
なんでも、頑張って高校合格したら携帯を買ってやると
酔っ払って約束してしまったらしい。
部長「俺、覚えてないんだけどな。言ったらしいんだよ。」
 
 
部長「今、29歳以下の『若者割引』ってのがあって、5000円安くなるんだ。
   お前、もう若者割引じゃないんだぞー。」
かじゅ「そーなんですよぅー。
    この前、もう若者じゃないんだーって言って泣いてたんですよー。
    ま、これからは『大人』ってことでヨロシク♪
    そのうちどっかで『大人割引』ってやってくれないですかね?」

惰眠をむさぼる

2002年4月21日
嬉し恥ずかし朝帰りっ♪
 
なーんて、単にタクシー代ケチっただけなのですが。
7時前、両親が起きる前にコソコソ家に入る。
眠くて眠くてぇ。倒れるように布団にもぐりこみ、寝倒す。
 
 
 
 
夕方5時。
ママりん「そろそろ起きないと夜寝れないわよーぅ。」
かじゅ「ぁ〜〜〜・・・・ぃ」
 
 
お風呂に入って、ご飯を食べ、テレビをちょっと見て、
だーりんと電話。
だーりんも寝倒していた様子。
 
そして11時半には床につきました。
確かに我ながら良く寝ると思う。

普通にデート

2002年4月20日
先日、だーりんは寝ている間にメガネを押しつぶして
壊してしまって、家用のメガネがなくなってしまったので、
メガネを買いに行くことにした。
 
普段は、コンタクトのだーりんだけど、メガネを買いにくので
今日はお出かけ用メガネをしている。
 
おほ。えせインテリ君だ。
かじゅ「インテリっぽーい。仕事できそうだねー。」
だーりん「そうだろ。そうだろ〜(笑)
     これでうちの部長は、俺が仕事できるって
     勘違いしてくれてるんだよ。」
かじゅ「要領いいだけなのにねぇー。」
だーりん「お前が言うなーー。」
 
 
メガネ屋に入ったはいいけど、多すぎで選ぶのが大変。
片っ端から掛けてみるしかなさそう。
だ「これは?」か「うーん、あんまり。」
だ「こっちはどうだ?」か「それダメ。」
だ「これかな?」か「うん、悪くないよ。」
だ「これは色がなぁー。」か「可もなく不可もなく。」
だ「難しいなぁ。」か「こんなにあるのになかなかないねぇ。」
 
 
あーでもない、こーでもないとやった結果、
フレームなしのメガネに決定。
 
そして、検査。
私もド近眼だけど、だーりんも結構視力は悪いらしい。
度を下げるかどうするかあーでもないこーでもないと何度も
試している。
 
私は割と即断即決タイプなので、こーいう検査はパパパーと
やってしまうのだけれど、だーりんはじっくりと選んでいる。
慎重派なんだなぁ。
 
 
最後にレンズを決定する。
だーりんも、近視+乱視なので、オプションの高いレンズになってしまう。
いくら家用とはいえ、ビン底メガネにするのは忍びないので、
そこそこいいお値段いっちゃうんだよねー。
本当は私も今ひとつ今のメガネが気に入っていないので、
安くなりそうだったら、買おうかなーって思っていたんだけど、
5万近くになってしまうので、さっさと諦めました。
 
来週にはできてくるようでし。
 
 
 
 
久々に飲みに行ったのねーん。
 
こーやって飲むのなんだかんだいって一ヶ月ぶりくらい。
久々なので、ラブラブトーク炸裂なだーりんです。
えへへへへー(*^ー^*)
 
なんかさ、「ずーっと一緒にいたいね」=「ケッコン」ってのが
微妙に見え隠れしてるんだよね。すごいドキドキしちゃう。
ちゃんと考えてくれてるんだってわかって幸せ。
 
もう少ししたら正式オファーをいただけるそうです。
まぁ、来年くらいかなって思ってるけどね。
 
ようやく自分の番になるのかぁーと思うとしみじみ。
 
 
 
 
なーんて普通に浮かれポンチだったので、久々に二人して
はめはずして、普通に終電逃しました。
 
 
やってもーたぁーーーー。
 
で、また飲んじゃったりしてさ。
折角の学習効果も水の泡。

ブルーデー

2002年4月19日
ホルモン様がやってきたので、なんとなくブルーだ。

母の愛

2002年4月18日
昨日の夜はママりんが、おじーちゃん宅に泊まりに行く番だった。
 
帰ってきて、色々話をしていたんだけど、やっぱりおばちゃんって
人とコミュニケーションを取るのがヘタらしい。
今日は、ケアマネージャーの人が話をしにきたらしいんだけど、
ケアマネージャーの人の質問におばちゃんはすっとは
答えずに、すぐに話がそれていってしまうらしい。
 
 
 
ふと気になった。
 
かじゅ「おばーちゃんて子供たちをあまりかまわなかったの?」
ママりん「そうよ。おばーちゃんは工場長夫人としてのお付き合いとか
     接待とかそーいうのに忙しかったし、体も弱かったから、
     丈夫でいられますようにって一生懸命神様にお祈りしたりで
     忙しかったんじゃないの。
     『もっとかまってやればよかった』って昔言ってたし。」
 
 
ふぅーん、やっぱりそーいうことか。
母親の愛情不足。
人の気持ちを察しにくいのはその辺もあるのかもしれない。
しかもパパりんなんて、長男で、親の期待を一心に受けて、
プレッシャーも結構なものだったんじゃないのかな。
 
やっと少しパパりんが理解できてきた気がするけど、
これとむかつかないようにするってのはまた感情が入っちゃうから
別問題なのが厄介なところ(笑)
最近、それほどぶつかってないけどね。
 
 
 
ママりん「あんたは大丈夫?(笑)
     私、あんたをあんまり抱っこした覚えないのよね。」
かじゅ「私は第一子だし、すぐに弟たち産まれて仕方ないじゃん。
    うん、今のところは大丈夫。」
 
 
 
大丈夫って答えたけれど、実は昔は大丈夫じゃなかった。
子供の頃はほとんど意識したことなかったけれど、高校ぐらいから
すごく孤独を感じていたのはその辺もあるかもしれない。
小さい時は結構これでも引っ込み思案で自分の思っていることの
半分もいえない子だったから(今では大違いだ(爆))
甘えたくても甘えられなかったし、そう言われた訳ではないのに
ついついいい子ちゃん、お姉ちゃんをしてしまっている自分がいた。
だから、ママりんにぺったりくっついたりして甘えた記憶って
ほとんどない。
おかげですっかり甘えべたになってしまった。
 
 
前から、彼氏には甘えたいって思っていたのは、もしかしたら
甘えられなかった子供の頃を補おうとしているのかもしれない。
 
きっとそうなんだろうな。

写真ができた

2002年4月17日
先月GALAへ行った時に使い捨てカメラ買って、
それがようやく撮り終わったので、現像に出しましたです。
 
できてきましたよーん。
 
 
 
 
・・・あのー、ピント背景にばっかり合ってるんですが。
 
 
 
 
・・・だーりんのあごがタプタプッ。
本当に日替わりなだーりんのあごの肉の付具合。
酒飲んだ次の日はむくんでいるらしく、ブルドック並。
 
 
 
でも二人で一緒に写っているのはプリクラ以来だし、
なんだか照れくさくてこそばゆい感じにゃ。
 

移動発表

2002年4月16日
んおー。昨日一日家でゆっくりしていたはずなのにまだ眠い。
 
会社最寄の駅の交差点のところでサイトーくんとめぐっち発見。
かじゅ「おはよー。」
めぐっち「あっ、○ちゃんっ。○ちゃんも凸社事務所だよ。
     この3人が移動だって。」
かじゅ「え?いつから?」
めぐっち「5月から。」
 
 
んをー。人がのんびりしている間に、発表があったらしい。
 
 
とりあえず、詳しいことはよく聞いてないから分からないけど、
分室はなくならないことになったらしい。
で、分室にはDTPデザイナーを集めて、webチームとその他は
凸社事務所に移動になるらしい。
とりあえず、定期1ヶ月にしておいてよかった・・・。
 
 
今月いっぱいで2年居た分室ともお別れかぁ。
つーか、もう入社して2年経ったのか。
早いなぁ。
 
私の仕事内容はほとんど変わらないようだから、よしとしよう。

上書き保存

2002年4月15日
ちょこっとずつ、だーりんと出かけたところが増えていく。
色々な場所に想い出ができる。
 
 
でも、過去にもそういった想い出はあるわけで、
ちょっと前なら、この場所はあの想い出があるから
他の人とは行きたくないなって思っていた場所とかもあった。
 
 
それが最近、そんな小さなこだわりはどうでも良くなってきた。
あの想い出の場所に、だーりんと行って、だーりんとの
想い出の場所にしてしまえっ。
あそこにだーりんと行きたいな。
 
 
 
それはきっと、だーりんが一番になった証拠。
 
どんどんいろんな場所をだーりんとの想い出の場所に上書き保存。
新しい記憶を刷り込む。
 
 
 
 
 
そして、過去の想い出は単なる記憶へと変化する。
 
 

大阪旅行二日目

2002年4月14日
だーりんが目覚ましを10時ごろにセットしたが、
当然のごとく寝こける。爆睡。
 
起きられずに、結局チェックアウトを3時に延長。
眠いっす。
 
 
 
2時過ぎにもそもそ起きる。むー。眠い。
お腹がすいたので、チェックアウトして、難波へ向かう。
 
かじゅ「くいだおれ人形ぉー。グリコぉー。」
だーりんに連れて行ってもらいました。
 
ほほぉ。これがグリコの看板。
大阪転勤になって大阪に居たころ、だーりんは知り合いに
「このグリコのあげている脚は、30分に一度変わるんだよ」
と言われ、一生懸命見ていたことがあった、という話を
前に聞いていたので、どうなんだろうとわくわくしていたんだけど、
あれはどう見ても変わらなさそうな作りだった。
簡単にだまされて、だーりんてばお人好し。ぷ。
 
そして、くいだおれ人形。テレビで見たとおりの感じだった。
デジカメで写真を撮れたのでこれで満足。
 
 
単純な二人は「大阪来たらお好み焼き食べたいね」ってことで
お好み焼き屋さんに入る。
ねぎやきとお好み焼きを頼む。
だーりんは生ビールでぷっはーーー。
店員さんが焼いてくれるのをぼーーっと見る私。
 
店員さん「はい、お待ち。どうぞ。」
 
だーりん、いきなりがっついてます。
よほどお腹が減っていた様子。
うーん、なんかふわふわー。ふんわり焼いてあるんだね。
ねぎやきもねぎがいっぱいでおいしかったー。
結構なボリュームでおなかいっぱーい。満足でし。
 
満足したら途端に眠くなる。だって寝不足だもん。
でもね、脚も疲れてるの。歩きたくないの。
とりあえず、デパートの休憩コーナーで座って休む。
 
とりあえず、関空までの特急の切符を買う。
8:30のを買ったので、あと2時間ちょっとある。
さて、どうしよう。
でも、もうあんまり動きたくないし、お腹もすいていないし。
 
 
ピコーン!
 
 
漫画喫茶に行ってしまいました。
大阪まで来て何やってんだって感じもしなくもないけど、
時間をつぶすには最高だし、眠くなったら寝ればいいし、
飲み物もあるし。
 
だーりん、漫画喫茶初体験!
いやー、くつろげるね。サイコーだよ。やっぱり。
 
ゴッソリ漫画を席に持ってきたら、だーりんに笑われた。
だーりん「生き生きしてんなー(笑)」
そんなだーりんが読んでいたのは「ゴルゴ13」。
ゴルゴシリーズは大好きらしい。
 
 
 
のんびり時間を過ごして駅へ。
 
空港ついたらご飯を食べようなんて言っていて、空港ついて
中に入っちゃったら、売店全部閉まってやんの。
 
ががーーーーん。
 
もう外出れないし、夕食抜き決定ですね。
飛行機のドリンクのコンソメスープをすするひもじい二人であった。
 
 
羽田に11時について、終電でおうちに帰りました。
やっぱり体はすっごく疲れている。
明日、お休みを取っておいて本当によかったなぁー。
 
 
 
 
ひょんなことから、行くことになった今回の旅行だったけど、
すっごく楽しかった。
USJにも行けたし、みんなにも会えたし、だーりんとの親密度も
高くなった気するし、だーりんも喜んでいたし。
(大幅出費を除けば)いいことづくめ。みんなありがとう。
GWは慎ましく過ごしたいと思いマス。

大阪旅行一日目

2002年4月13日
AM4:30起床。所長さんからモーニングコールをもらう。
AM4:57 始発電車に乗る
AM5:45 だーりんと浜松町で待ち合わせ
AM6:16 羽田到着
AM6:45 大阪行飛行機出発
 
 
ひぃー。早い。眠い。だるいー。
 
 
待ちに待った大阪旅行でやんす。
事の起こりは、大阪鍋オフ開催日とだーりんの誕生日(4/13)が
重なったことから始まる。
だーりんの誕生日だから行かないって言ったら、
自分の誕生日なんて気にしないから行けばいいって言ったんだけど、
やっぱりだーりんの誕生日はお祝いしてあげたかったので、
きゃおさんの「USJに行って一泊ラブラブ旅行にするってどぉ?」
ってのに乗っかることにしました。
 
で、スケジュールは朝一の飛行機で大阪入り→USJ→飲み会→一泊
翌日終日フリー→最終の飛行機で羽田という内容。
 
 
 
朝、飛行機で寝ようと思ったのに、後ろの席のお子様の嘘泣きが
うるさくて眠れなかった。がっくり。
 
関空からUSJまでのリムジンバスで寝る。
 
 
AM9:30過ぎ、USJ到着。
きゃー、USJだぁーーーー。ひゃっほーぅ♪
荷物をロッカーに預けて、レッツゴー。
 
T2のEパスをもらってから、
バックドラフト→ジュラシックパーク→JAWS→T2→
バックトゥーザフューチャーと回った。
めちゃめちゃ混んでいるかと思いきや、大体みんな1時間待ち
くらいだったので、助かったよ。
ジュラシックパークで濡れるからってポンチョ買ったんだけど、
濡れるアトラクションはもう他にないだろうと思って、
終わって即効捨ててしまったら、ジョーズで座った席が悪くて
だーりん濡れてました。
よっ、水も滴るいいオ・ト・コっ。
 
むーん。楽しいじゃないかよー。うへへへー。
園内を歩いてるだけでも楽しめるねぇ。楽しいねぇ。
 
PM5:30 USJを出る。西九条行きのバスに乗る。
だーりんと西九条で別れる。
私は鍋オフ会場へ。
だーりんは一度全日空ホテルへチェックインしてから同僚と飲む。
 
 
PM6:15過ぎ 朱んちゃ宅到着
こんちわぁー。おお。ずいぶんと広いお宅ぢゃーないですか。
もうみなさんお集まりで。
おほほ。うまそうな皿がいっぱいあるでねーのぉー。
 
三つ眼氏が私がリクエストした「グレフル」「ピングレ」を
買ってくれてた。それを片手に食べに走る。
キムチ鍋ぇー。鍋って季節ではないかもしれないが、
そんなのはカンケーない。うまけりゃよいのだ。
 
から揚げー。餃子ー。サラダー。刺身ー。おにぎりー。
むはー。うまいなぁー。手際よいなぁ。
ホント、きゃおさんちの子供になりたい。
あっちゃんのだんなさんになりたい。
 
きゃおさんちのお子様3人ともとってもキュート。
この子たちなら親ばかになるのは当然でしょう。
 
三つ眼氏、働きもんだなぁ。
かじゅぴー、食べる専門だからさ。けへへ。
ついでにプリクラ見せびらかす。えへへへー。
三つ眼氏を悔しがらせてやった。
ふふんっ。悔しかったら彼女作れや。
 
朱んちゃがワインをポンポンあける。
すごいなぁー。強いんだなぁー。
ちょびっともらったけど、やっぱりワインは悪酔いしそうだ。
 
清さん登場。にょほ。ジンちゃんに頭グーリグリされてる。
写真よりも華奢な感じがするなぁー。ほほほほほ。
所長さんが電話で祭りに参加。
相変わらずかわゆい声です。うふふふふ。
 
シゲさんの相方はウクレレちゃんでした。
中国娘だそうなので「リンメイ」と命名され、きゃおさんちの
お子様たちの良き友となっていました。
 
ところで、女性陣チームでは、下着の話しに花が咲く。
パンツをはいたときに下着のラインが出ないほうがいいよねぇとか。
ここはやはし、きゃおさんに聞くしかない!
Tバックとはいかなるものかの講義を受ける。
しかし、あっちゃん同様「洗濯に出す勇気がない。」
Tバックはあきらめて、ボクサータイプのかなぁー。
 
 
ぱるぱるちゃんが彼との約束があるので、ご帰宅。
ぱるちゃん、課題頑張ってねー。
 
次にきゃおさんご一行さまを三つ眼氏が車で送る。
 
急に人数が減った感じ。
清さん、朱んちゃ、ジンちゃんの3人はベランダでヤニタイム。
妙に盛り上がっています。
 
清さんも明日早いので、ご帰宅。
バイバイ。また遊ぼうねぇ。
 
私、かなりマターリしてきました。
座布団抱えて寝に入ってしまいますぅ。
人が居なくなってきたので、ジンちゃんの彼が喋り始めた。
気が付いたら、朱んちゃは部屋で寝てるし。
 
ジンちゃんも明日かなり早いから、新幹線で帰るのに出る時間が、
「9時半」→「10時」→「明日帰る」とどんどん延びる。
ジンちゃんの彼の方が心配してました。
 
11時を過ぎたので、そろそろ出ることに。
でも、三つ眼氏が一向に帰ってくる気配がないので、
あっちゃんに残ってもらうことに。
シゲさん、ジンちゃん、ジンちゃんの彼と4人でJRに乗る。
 
だーりんが飲んでいる場所がよくわからないので、
シゲさんに送ってもらう。
シゲさんは、だーりんを見て帰っていった。
ありがとー、シゲさん。
 
オフ会は非常に楽しかったっす。
気取らない人たちが集まっているのでくつろげるし、
いろんな話しができる。
こーいうのも幸せだなぁー。
 
 
さて、結構飲んでいる酔っ払いが二人。
うち一人はだーりん、もう一人はだーりんの同僚のYさん。
Yさんは転勤で神戸にきている。
Yさんが奥さんに電話していた。
Yさんちの奥さんはかなりキツイ人らしい。
最初は、遅くなったので「帰ってくんな」って感じで
締め出しを食らいそうなYさんだったけど、だーりんが電話を変わり、
「引き止めちゃってすみません」となだめすかし、
最終的には神戸から車で迎えに来てもらうことになった。
 
で、とあるお店へ入り、飲みながら待つことに。
朝早かったので、私はかなり眠くなってしまった。
眼が半分くらいしか開いてない気がするぅー。
でも、だーりんは楽しそうだなぁ。
 
Yさんの奥さんが迎えに来て、店を出て、ホテルに戻ったのは
AM2時半過ぎだったかなぁ。
 
眠いっす。
 
ようやくだーりんに誕生日プレゼントあげました。
だーりん、34歳おめでとー。
お財布がボロボロになっていたので、お財布をあげたのだ。
とっても喜んでもらえた。ふふ。良かった。
 
 
今日は盛りだくさんで長くて楽しい一日だったなぁ。
色々あったけど、やっぱり来てよかったなー。
 
 
それから、だーりんにぺっとりくっついて寝ました。

大阪旅行イブ

2002年4月12日
明日はひじょーに早いので、今日のうちにすべての準備を
整えておかなければいけないのである。
 
今週はずっと、来週の月曜日を休みにするべく取引先にも
根回し、根回し。
ついでに、定時でさっさとあがる。
 
 
ご飯を食べ、お風呂に入って、準備。詰め詰め。
といっても、一泊なので、それほど荷物も持ちたくないのですが。
 
だーりんのバースデーカードなんぞ書いてみる。
 
 
準備完了。
もう後は、UOやって、電話して寝るだけでし。
 
 
23時からは、UO内で所長さんと清さんの結婚式に参加。
面白かったでし。
 
眠くなったので、布団に入るも、だーりんから連絡なし。
1時近くに電話が来た。
をー、酔っ払いめぇ。ちゃんと起きてね?ちゃんと起きてね?
 
 
 
 
 
ところで、携帯にメロディ付グリーディングメールを出そうと
思ったのに、普通に間違えて、そのまま送信してしまった。
せっかくのお誕生日なのに、フライングしてしまいました。
ダメダメじゃん。

大変なのは

2002年4月11日
おばーちゃんが亡くなって、おばちゃん一人でおじーちゃんを
みるのは心配なので、パパりん兄弟とその奥様たちが交代で
泊まりに行くことになり、昨日はママりんが泊まりに行く番だった。
 
 
おじーちゃんはまだ夜中に家を出て行こうとしているらしい。
だから、チェーンのところに紐をぐるぐる巻きにして
切らないと出られないようにしたようである。
でも、それって緊急の時に、自分たちも焦ると出られないので
改善の余地あり。
 
 
 
おじーちゃんは夜中に2,3時間おきぐらいに起きてゴソゴソ
やっているらしい。
でも、特に危ないことをする気配はない様子。
 
 
それよりもママりんが頭が痛いのが、おばちゃんの方。
このおばちゃん、小さい時から女の子一人でお嬢様のように
育てられたのに加え、出戻りなので、おばーちゃんが可哀想がって
甘やかしたので、かなりワガママなのであった。
 
しかも、あまり体も強い方ではないので、すぐに疲れてしまう。
さらに、家事のやり方などはおばちゃんなりの方法が確立されていて
その通りにやらないと気に食わないらしい。
 
ママりん「何が大変って、お父さんよりもお姉さんよ。
     それは三男嫁も電話で言っていたしね。」
 
 
もうあの年になったら、性格変わらないもんなぁー。
こっちが合わせるしかないけど、結構大変ですわ。
 
ここはパパりんにしっかりしてもらいたいもんである。

部長の免許

2002年4月10日
部長が酔っ払って、何処かに免許書を忘れてきたらしい。
 
部長「おっかしいなぁー。どこにやったんだろう?
   あ!室長!お前だろう〜。
   免許欲しくて盗ったんだろう?そうだろうー?」
スピード違反しまくりで、ついに去年免許取り消しになった室長
室長「ちーがいますよぉー。部長のなんて使えないじゃないですか。
   明らかに違いすぎるっての。」
ちょっと呆れ顔。
でも、楽しくて仕方がないらしい部長、しつこく室長をからかう。
 
 
私には酔っ払って免許を何処かにやってしまった部長の方が
おかしくてたまらないんですが。

出社

2002年4月9日
久々に会社に行く。
やっぱり疲れている。
 
ね、眠い〜〜〜。
 
 
 
お昼過ぎに部長がきた。
部長「あれ?もういいのか?」
かじゅ「ああ、式もう昨日で終わりましたから。」
部長「うちの会社は小さいけどな、一応忌引きってあるんだぞ。」
かじゅ「はぁ、でももう私のやることはないんで。」
 
うーん、だったらもう一日休んでしまえばよかったかな?

告別式

2002年4月8日
斎場につくと、パパりんがいた。
隣にも別の家の控え室があるんだけど、親戚ご一行様で
泊まっていたらしく、夜中までおばちゃんたちがうるさかったらしい。
 
 
次男おじさんところの長男と次男はすでに結婚して子供がいて
すっかり親ばか振りを発揮していた。
三男おじさんところも三姉妹のうち上と下はすでに子供がいるので、
次男とこのおばさんに「みーんな孫がいるのよ。ね?」と
プレッシャーをかけられる。
ハハハハハー。またうちら姉弟乾いた笑い。
 
それでふと、お正月におばーちゃんに
「早く結婚してくれないとおばーちゃん死んでも死にきれないよ」
って言われたのを思い出して、少ししんみりしてしまった。
でも、こればっかりは仕方ないもんな。
 
 
今日も受け付け。香典を数える。香典帳に住所とかを写す。
教会の先生も白装束でお経ではないんだけど、なんか唱えてる。
 
また途中から入って、榊を供えて、柏手を打つ。
 
最後に長男であるパパりんの挨拶。
途中、パパりん涙で言葉が詰まり詰まりになっていたけど、
それで無性に泣けてきた。
ああ、おばーちゃんは幸せだったんだなぁって。
みんなおばーちゃんのこと大好きだったんだなぁって。
 
 
式が終わり出棺するのに、お棺のふたを開け、榊を添え、
その上にお花を添える。顔の周りには色のついたお花を、
他のところには白の花を敷き詰めた。
 
出棺。パパりんとおじさんが霊柩車に乗り込む。
我々はマイクロバスで移動。
といっても、火葬場は斎場の裏だからすぐについちゃったけど。
 
時間になるまで、控え室で乾き物を食べながら待つ。
最近の火葬場はえらい綺麗だね。バブルの頃のかな?
 
 
アナウンスが流れ、集合する。
すっかり骨になって出てきた。
でも、骨の形がしっかりとわかるって言うことは、
おばーちゃんはやっぱり健康だったんだなって思う。
 
みんなでお骨を骨壷に入れる。
最後に係りの人が、頭の部分を入れてくれたんだけど、
微妙に頭蓋骨に色がついていたのは、かなりの出血のせいかな。
 
 
みんなで斎場に戻る。
仏教で言う初七日に当たる十日祭と、ショウジン落としを
まとめたお食事。
まあまあおいしかったでぃす。
従兄弟たちと話すのも久しぶりだしねぇ。
 
 
さて、まだまだこれから決めなくてはいけないことは盛りだくさん。
私は、いても仕方がないので帰るつもりだったんだけど、
香典を持っているので、とりあえず、おじーちゃん宅へ。
従兄弟たち、弟たちは帰っていった。
 
 
おばーちゃんを祭壇に設置。
おじーちゃんは、おばーちゃんのことはわからないなりにも、
祭壇があるときちんとお参りしていたらしい。
 
葬儀関係のノートを作ったので、報告を色々記入。
話し合いが進まないと困るので、適当に議題を進めてみた。
話し合いの書記もする。
 
色々して、一段落ついたので、帰る事に。
 
 
 
弟2号は、せっかく日本に帰ってきたので、友達と飲みに。
うちらは駅前の「とり鉄」に食べに行く。
 
 
ふぅ。
 
あわただしかったけど、まぁ、割といい式ができたんじゃないかな。
  
もし亡くなったのがおじーちゃんだったら、様子も全然違っただろう。
今回おばーちゃんが亡くなったのは、パパりんたち兄弟に
コミュニケーションを取らせるためとかいろいろ意味があったのかなと
ふと思ったりした。

終祭

2002年4月7日
3時におじーちゃん宅につくように家を出る。
 
結局、昨日はおじさんが渋滞に巻き込まれて、納棺の時間に
間に合わなかったために、納棺が今日に延びた。
 
ついでに、おじーちゃんにおばーちゃんが亡くなったことを
きちんと話をしたらしいんだけど、最近めっきり痴呆気味の
おじーちゃんは、そのことがもうわからなかった。
これでは式には出られないという判断になり、式に出られないなら
せめて納棺の前に、本人はわからないと思うけど、
最後のお別れをさせてあげようということになったのだ。
 
おじーちゃん宅について、うちら姉弟3人はお留守番。
その間に葬儀屋さんが、おばーちゃんのお骨を置く祭壇を
設置しにきた。
ダイニングの横のテーブルの上に設置してもらう。
 
 
最後のお別れをして、おじーちゃんが帰ってきたので、
(本人は全然わかっていないようであったけれども)
みんなで斎場に向かう。
 
 
 
斎場についてしばらくしてから、納棺。
みんなでおばーちゃんをお棺に入れてあげる。
おばーちゃんは安らかな顔をしている。それが救いかな。
 
最初はなんだか安っぽい感じでどうなっちゃうのかなーと
思ったけれど、お棺の周りに淡い色の花を並べたら
落ち着いた感じになったので、よかった。
おばーちゃんは紫色が好きだったみたいだから、
遺影に紫色の蘭がつけてあった。
 
 
私と従姉妹とで式の受付をすることになった。
おばーちゃんは神道系の教会に通っていたので、
今回も神道のやり方でやることになった。
神道の葬儀ってはじめて。
お通夜じゃなくって、終祭っていうらしい。
 
18時からなのに、17時過ぎからぽつぽつと人が集まり始める。
記帳してもらうところは従姉妹に任せて、私は会計担当。
香典数えまくりです。
 
18時半頃、こそこそと式に入る。
お線香ではなく、榊をささげる。
音を出さない柏手を打つ。
 
おばーちゃん、今までありがとう。お疲れ様。
 
 
 
 
式の後はお食事会。
 
ここで事件発生。
すっごく久しぶりに外出したことに刺激されたのか、
おじーちゃんが家を出て、どこが自分の家かわからなくなり
他のお宅へ入り込んで暴れているとおばちゃんから連絡が。
とりあえず、うちの弟1号と弟2号が様子を見に戻る。
 
初めて会うパパりんの従兄弟とか、親戚関係。
あんまり親戚づきあいしてないもんなぁ。
こーいう時でもないと会わないし。いいんだか悪いんだか。
 
 
2時間ぐらいして、お食事会も一段楽したところで、
またまたお墓についてのお話し合い。
 
今夜は、パパりん兄弟3人が斎場に泊まる予定だったんだけど、
おじーちゃんが心配なので、三男おじさんはおじーちゃん宅に
泊まることになった。
 
 
弟たちの話では、おじーちゃんは昔の話とかはちゃんとわかったり
するらしいんだけど、突然つじつまが合わないことを言い出したり
するらしい。
今夜はまた夜中に徘徊しないかどうかが心配だそうで。
 
いままでは、おじーちゃん問題は早急に解決しないといけない。
 
 
 
パパりんを斎場に残して、おうちに帰った。
明日も早く起きなければ。

つかの間の休息

2002年4月6日
今日は納棺。両親は出かけるけれど、私と弟1号は欠席。
 
 
 
そろそろ薬が切れるので、病院に行く。
先月、先生に来月で終わりですねって言われていたので、
これで結核の治療ともおさらばだーって思っていたら、
先生「あー、きれいになりましたねぇ。
   30日分のお薬出しますから、それを飲み終ったら終了ですね。」
かじゅ「え?今日で終わりじゃないんですか?」
先生「今月30日分飲み終わったら丁度半年でしょう。」
かじゅ「やっぱり半年は飲まないとダメなんですか・・・。」
先生「ゴールデンウィーク明けくらいに来てください。」
 
 
ちっ。あと1ヶ月、薬とのお付き合いは続くらしい。
どうやら、ぬか喜びをしてしまっていたらしい。
 
 
いつものように、最後の採血の時、前に血管を注射針で
ぐりぐり探された看護婦さんだったので、あらかじめ
かじゅ「血管細いんでよろしくお願いしまーす。」
看護婦さん「あ、細いのね。じゃ、これじゃダメだわ。」
注射針を細いのに取り替えてくれました。
その甲斐あって、一発で採血終了。よかったーん。
 
 
 
だーりんが、八王子の実家に帰るそうなので、新宿で待ち合わせ。
久しぶりに会った気がするー。ってたった1週間ぶりなんですが。
おばーちゃんのことがあったので、2日間電話できなかったからね。
 
やっぱり、会ってすぐ「疲れた顔してんなー」って言われた。
そりゃー疲れるさ。仕方ないけどね。
 
弟2号が、葬儀参加のため香港から緊急帰国するので7時過ぎに
バイバイする。
 
 
 
---
来週の大阪行き、色々あるだろうからキャンセルしてもいいって
だーりんは言ったけど、キャンセルする気ナッシングです。
親には申し訳ないけど、今回だけは行かせていただきます。
その代わり、今後は控えるから、許してー。
 
多分大丈夫だと思うんだけど。
 
おばーちゃん、大阪行かせてください。

葬儀準備

2002年4月5日
会社を休んで、朝からおじーちゃん家につめる。
葬儀の段取りをパパりん兄弟が決めに行き、
女性陣&うちの弟1号は待機&連絡係
 
 
■色々日程やらなにやらを決める。
 日程は、7(日)が友引なので、
 7(日)お通夜、8(月)告別式となった。
■いろんなところに連絡。
■雑用。
■今後の話し合い。
 
 
 
今まで、やらなきゃねって思いながら、後回しにしていた問題が
一気に表面に出てきた感じ。
パパりんところの家族って肝心なことをきちんと話し合わないで
ずっときてしまったから、コミュニケーションがきちんと
取れていないとこーいう時に大変なんだよねー。
でも、文句もいっていられないので一つ一つ片付けていくことに。
 
つくづく、話し合いって大切だと思ったにゃ。
 
 
結局、私はたいしたことはできなかったので、ただ居るだけだったけど、
ま、こーいう状況だし、居るだけでもよかったのかなぁ。
全然病気してなくて、きちんと毎日家事をこないしていた
父方のおばーちゃんが、買い物帰りに商店街で転倒して、
後頭部を強打し、救急車で病院に運ばれた。
 
 
夕方、ママりんから連絡をもらい、会社を早退して
相模原のおじーちゃん宅へ向かう。
でも、結局鍵がなくて入れないので、落ち合ったママりんと
タクシーで病院へ向かった。
 
通されたのは、集中治療室。
目に入ってきたおばーちゃんは管がいっぱいで小さかった。
まさかこんなに大事になっているとは、思ってなかったから
ちょっとショック。
 
もうすでに呼吸は止まっていて、脈も非常に不安定でばらばら。
手もかなり冷たくなってしまっていた。
心電図もなんとなくは波ができているものの、反応は薄い。
 
 
ふと、カーテンレールの上あたりで気配したんだよね。
私は普段から見えたり気配を感じる人ではないんだけど。
心の中で「おばーちゃん、そこにいるなら戻ってきてよ」って
思ったけど、しばらくしたら気配がなくなった。
そしたら、心電図もドラマみたいにすべて”0”になった。
 
医者「7:24、死亡ということで・・・。」
 
おばーちゃんは88歳の人生を全うして、お星様になりました。
 
 
 
医者の説明では、後頭部を打ったときに、頭蓋骨骨折で、
一気に脳内に出血し、すぐに脳死状態に陥ったらしい。
多分、本人は痛いとか意識はほとんどなかったでしょうとのこと。
苦しまなかったから、よかったよね。おばーちゃん。
 
 
 
おばーちゃんは、病気でもなく、道で倒れて亡くなった
ということなので、そーいう場合は警察に届けることに
なっているらしい。
そっちで司法検査?みたいなのがあって初めて引渡しになるらしい。
 
うちらも取調べを受けることになって、容疑者みたいな
聞き方されて、ちょっとヤな感じ。
 
 
10時過ぎまで、病院に拘束されたかな。
その後、おじーちゃん宅へ。
パパりんは、姉、パパりん(長男)、次男、三男の4人兄弟。
たまたま全員集まったので、いろいろ話し合い。
しかし、ココの兄弟ってコミュニケーション取るのが非常に
へたくそなので、あまり進まない。
なんとか段取りを決めて、家路についたのは午前1時過ぎ。
 
 
 
お正月に、元気なおばーちゃんに会えててよかった。
おばーちゃんは、おじーちゃんより1日でも長生きしたいって
言っていたらしいから、それが心残りだろうけど、安らかに。
 
おばーちゃん、いままでありがとう。

< 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索